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『沖縄戦 全記録』という番組が14日(日)21時からNHK総合で放映予定。 [沖縄&琉球國]

今月の23日(火)は「沖縄慰霊の日」ですが、
それに関連付けてか、14日の日曜夜にNHK総合で
沖縄戦の全貌を伝えるドキュメンタリー番組が放映されます。

NHKスペシャル
●『沖縄戦 全記録』
6月14日(日)21:00~22:00
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0614/index.html
(※予告動画が観られます)
・再放送の予定
6月17日(水)0:10~1:08(16日の深夜)

[沖縄戦の概要]
●第二次世界大戦において日米両軍が沖縄県の本島および離島を戦地にし、3か月にわたって戦闘・破壊・殺戮を繰り返した。
●日本軍は沖縄戦を本土進攻までの“時間稼ぎ”と捉え、「沖縄は本土防衛のための捨石」という発想。
●当時の沖縄県の人口は約59万人で、戦闘に動員された米英軍54万5千人に対し、日本軍は11万人余。
●日本軍は自分らの食糧を確保するためと年配者・子どもが“足手まとい”となるという考えから、本土や台湾へ疎開させたが、疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃で沈没し、学童800人を含む1400人以上の命が奪われた。
●兵力不足の日本軍は、お年寄り・子ども・女性も含めて一般の住民にも「玉砕精神」を叩き込んで戦闘に巻き込み、10代の中学生・女学校生も戦場へ駆り出された。
●住民は日本兵によって避難場所のガマ(洞窟)から追い出されたり、泣き声を上げる赤ちゃんを殺されたり、米兵の前面に並べて盾代わりにされたり、島言葉を使うとスパイと見なされて惨殺されたりするなど、自国の兵からも残虐行為を受けた。絶望して一家で自決したり、断崖から身を投げたり、老親や我が子を殺したりする状況にまで追い込まれた人々も多い。
●アメリカ軍はゲリラ戦を展開する日本軍に手こずり、無差別攻撃へと転じ、地形が変わるほど砲弾を浴びせ、火炎放射器や手榴弾などによって日本兵・住民の別なくガマごと焼き払った。
●離島では空襲や艦砲射撃による被害のほか、栄養失調やマラリアなどの犠牲者も多数。
●沖縄戦の戦没者は推定で本土出身兵6万6千人、沖縄県出身の軍人・軍属2万8千人余
(現地で召集された防衛隊・従軍看護婦・学徒隊・男女の義勇隊も含む。強制連行や騙されて戦場の雑役夫などに動員された朝鮮人の軍夫と従軍慰安婦の戦没者=推定1万人超=は含まず)。
●命を奪われた県内の民間人は判明しているだけでも9万4千人以上と国内最多(戦争マラリア死、餓死、住民虐殺、船舶での遭難、集団自決なども含めると犠牲者は15万人前後=県民の4人に1人)。
●米軍の戦没者は1万2千500人ほど。
●戦後70年の現在も民間の犠牲者や軍人の遺骨の収集は続いている。

[番組の内容]
・非公開だった膨大な戦死者の記録、アメリカ軍の撮影した未公開フィルム、1000本以上の住民の証言テープなどを基に専門家と分析。
・どこでどれだけの犠牲が出たのか、記録を詳細にデータ化し、全貌を明らかにした。
・映像と音声によって沖縄戦の全体像を再構築し、地上戦の実態に迫る。


[参考サイト]

沖縄、本土、韓国、アメリカの人々による
たくさんの貴重な証言が動画と共に観られます。
●NHK戦争証言アーカイブス
・「沖縄と太平洋戦争」
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/special/vol3.html
・「消えた女学校 女子学徒たちの沖縄戦」
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/special/vol11.html

●「沖縄戦について」
(沖縄県平和祈念資料館)
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/
沖縄戦の戦闘経緯
慶良間列島・沖縄本島上陸
本島北部・伊江島の戦闘
本島中部・首里の戦闘
本島南部の戦闘
大東諸島(南大東、北大東、沖大東)の戦闘
宮古・八重山の戦闘
沖縄戦戦争体験証言集(沖縄平和学習アーカイブ)

運営者はわかりませんが、
綿密に調べられた情報が掲載されています
(※2005年以降は更新がない様子)。
●「沖縄戦の記憶・本館」
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/
●「沖縄戦の記憶・分館」
http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/


●「沖縄戦の歴史を、見る・調べる・学ぶ」
(内閣府沖縄振興局 沖縄戦関係資料閲覧室)
http://www.okinawa-sen.go.jp/
・沖縄戦の戦闘経緯(※地図に米軍の進撃ラインの表示)
http://www.okinawa-sen.go.jp/gaiyou_pop/detail.html

このサイトには
「約3~5ヶ月にわたる沖縄戦」と記されています。
なぜ期間に2か月もの幅があるのでしょうか。

3月26日:米軍が慶良間列島に上陸。
4月1日:1500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員が沖縄本島に上陸開始。
5月22日:沖縄守備軍は首里を放棄し、南部へ撤退。
5月31日:首里にあった日本軍の司令部が陥落。
6月13日:少将の大田 実が海軍壕内で自決。
6月23日未明:司令官の牛島 満と参謀長の長 勇が自決、組織的戦闘は同日に終結。

ここまでだと3か月間ですが、
実際には、その後も本島や離島で局地的に戦闘が行われ、
8月15日に日本が降伏したあとの9月7日になってから
ようやく南西諸島守備軍の代表が降伏文書に調印したのです。

その理由の一つには
司令官だった牛島の名で出された最後の命令が
「生きて虜囚の辱めを受くることなく 悠久の大義に生くべし」
つまり、捕虜とならず最後まで戦えという内容で、
そのまま牛島や長は自殺してしまったために
命令を解除する者もおらず、
戦闘を続けていた兵士や民間人がいたというわけです。
また、連絡網が途絶えたせいで、戦争の終結した知らせが
離島まで届きにくかったという事情もあるようです

本島の司令部を南部へ撤退し、
住民の犠牲を増大させてしまった牛島や長に対し、
私は全くもって良い感情は持っていませんが、
満という名の一字を祖父から受け継いだ
司令官の孫である牛島貞満さんは、
定年後も都内で教師として子どもたちと向き合いながら、
「牛島満と沖縄戦」をテーマに平和学習に取り組んでいるとか。

貞満さんの考えは
「牛島の司令が住民の犠牲を大きくし、
日本の全面降伏後まで続く終わりなき戦争がつくり出された」
というもので、沖縄戦の教訓として
「軍は住民を守らない」「武力で物事は解決しない」
ということを東京だけでなく
沖縄の子どもたちにも伝え続けているそうです。

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EncoRie

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by EncoRie (2020-07-08 20:19) 

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