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反戦を訴え、人種差別とも闘った偉大なるボクサー、モハメド・アリ逝去。 [ボクシング・F1・ラグビー]

ファンのハチマキにサインするアリ:撮影(C)マッチャン(松尾泰男)
ハチマキにサインするアリ.jpg















ボクシングの元ヘビー級世界王者モハメド・アリが逝ってしまいました(涙)。つい先日、ゴールデン街の「小鳥」で店主の元ボクサー・佐藤洋介さんや兄貴分のマッチャンとボクシング談義で盛り上がったときに、アリの話もしたばかり。マッチャンはアリの現役の頃を知る世代なので、いろんなエピソードを教えてくれました。

松 「あの頃のヘビー級なんて、ステップなんか使えないドタドタしたデブばっかりなのに、アリは物凄くよく動くんだよ。動きが華麗だから『蝶のように舞い、蜂のように刺す』って言われたんだよ」
ち 「カシアス内藤はアリの本名のカシアス・クレイにちなんでリングネームを付けたんですよね?」
洋 「息子の律樹(りっき)は去年、負けたねぇ」
松 「アリはさ、キリスト教のマリアもキリストも白人で天使も白人しかいない、なんで黒人がいないんだ!って、カシアス・クレイは白人が付けた奴隷の名前だからモハメド・アリにするって改名したんだよ」
ち 「は~、なるほど~! 確かに西洋の宗教画で黒人の天使って見たことないなぁ。マリアもイエスも十二使徒も白人…」
松 「アフリカの『キンシャサの奇跡』も凄かったよね~」
ち 「ジョージ・フォアマン!」
松 「アリはアトランタ・オリンピックのときに久しぶりに出てきたなぁ」
ち 「聖火のね。パーキンソンで手が震えてて、あの姿を見て泣いちゃいましたよ~(涙)」
洋 「最近、どうしてんだろね?」

6月3日、早朝のニュースで「ボクシングのアリ氏が入院」という記事を読みました。呼吸器系の問題で前日に入院したけれども、容体は安定しているという内容だったのに……。

「小鳥」ではアントニオ猪木との異種格闘技戦の話も出ました。1976年6月のことで、来日中のアリを見たいと思ったマッチャンは宿泊先の「京王プラザホテル」(西新宿)へ行き、ロードワークに出てくるアリを待っていたそうです。集まったのは高校生や大学生のファンが多かったとか。

アリはマネージャーやガードマンなど何人もの男たちを従えて出てきました。ランニングを始めると、学生たちに交じってマッチャンも走ってついていったそうです。ところが、途中で雨が降り出しました。すると、アリが周りのスタッフに何事かを指示したら、スタッフたちはパパッと流しのタクシーを何台も停めて、ついてきた学生たちを乗せて元のホテルまで送ってくれたんですって! マッチャンは「俺は大人だからさ、遠慮して自分でタクシーを拾って帰ったよ(笑)」とのことですが、アリの気配りは素晴らしいですね!

マッチャンがそのときに撮った写真をずいぶん前に送ってもらったのを思い出したので、ここに載せておきま~す。

[追記(2016.6.5)]
●マッチャンに当時のレポートを送ってもらいました!
「東スポの記事に、アリが京プラ前から深夜12時~1時頃に走っていると載っていたので、一度帰宅して風呂に入ってから12時頃に京プラ裏口で待機していたけど、結局2時半頃に現れました。30分ぐらいランニングすると黒塗りの車が待っていて、アリたちは車で帰るのです。3日連続ストーカー(笑)しましたが、走るコースは3日とも違うのです。雨が降ったのは最終日でした。次の日は会社なのにバカやってました。」


[アリの軌跡]

●1942年1月17日 アメリカ南部のケンタッキー州ルイビルに生まれる。本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay, Jr.)。
●1954年 父親に買ってもらった新品の自転車を盗まれて交番へ行ったとき、ボクシングジムのトレーナーもしていた警官から「強くなって自転車を盗んだヤツを叩きのめせ!」と言われ、12歳(体重40㎏)からボクシングを始める。

●1960年 ローマ五輪に18歳で出場し、ライトヘビー級で金メダルを獲得。しかし、黒人に対する差別は厳しく、米国内での大会ではホテルの宿泊を拒否され、車の中で寝たという。金メダリストになっても地元の商工会議所が賞状を贈っただけで、何の式典も開催されなかった。地元のレストランへ友人と同行した際も、黒人というだけで店主が料理の提供を拒絶。アリはアメリカのために闘って勝ち取った金メダルをオハイオ川へ投げ捨てた(その後、アリは「どこかに置き忘れた」と訂正したが、金メダルの行方は不明のまま)。プロへの転向を決意。

●1964年 当時、最強のハードパンチャーと言われたソニー・リストンを破って世界ヘビー級王座を獲得。黒人公民権運動活動家のマルコムXと出会い、その思想に共鳴したことから「ネーション・オブ・イスラム(イスラム教から派生した新宗教でブラック・ムスリムとも呼ばれる)」に入信し、改宗とともにモハメド・アリと改名(ムハマド・アリ、ムハンマド・アリーとも表記/Muhammad Ali)。
※「ネーション・オブ・イスラム」はアフリカ系アメリカ人の名前を奴隷主に付けられたものとして否定する傾向がある。

●1967年 ベトナム戦争の兵役を拒否(良心的兵役拒否)したことで、無敗のままWBA世界ヘビー級王座とボクシングのライセンスを剥奪され、禁固5年と罰金1万ドルを科せられた。参戦しない理由として、「戦争はただの殺人。ベトコンに恨みはない。ベトナム人は俺を『ニガー(※黒人の蔑称)』とは呼ばなかった」と公言した。
●1969年 WBC世界ヘビー級王座も剥奪された。

●1970年 3年7か月のブランク後、ボクシング界へ復帰。
●1971年 7月に合衆国最高裁の判決によって無罪となった。

●1974年 32歳となったアリは10月にアフリカのザイール(現・コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで、無敗の王者ジョージ・フォアマン(当時26歳)と闘い、絶対に不利と言われた予想を覆してKO勝ちし、王座を奪還。

●1975年 イスラム教スンナ派に改宗。
●1976年 6月に日本のプロレスラーのアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」と銘打った試合を行った(東京・日本武道館)。
●1978年 2月にレオン・スピンクスに敗れて王座を失ったが、9月の再戦で判定勝ちし、3度目の王座獲得。

●1980年 ラリー・ホームズの王座に挑戦して敗れる。
●1981年 現役を引退。パンチの後遺症とも指摘されるパーキンソン病(パーキンソン症候群との報道もあり)を患った。頭部に浴びたパンチは計2万9000発といわれる。

●1990年 湾岸危機の際、アメリカ人の人質の解放をイラクのフセイン大統領に訴えるためにバグダッドを訪れ、15人をアメリカへ帰国させた。

●1996年 アトランタ五輪の開会式に最終点火者として登場し、聖火を灯した。このとき、アリに対して改めて金メダルが贈られた。

●2014年 尿路感染症のため入院。
●2015年 尿路感染症のため入院。
●2015年末 ドナルド・トランプがイスラム教徒の入国禁止を唱えた際、暗に批判する声明を出した。

●2016年6月 2日に呼吸不全となってアリゾナ州フェニックスの病院へ入院し、治療を受けたが翌3日には重篤な病態となり、家族に見守られて息を引き取ったと広報担当者が発表。享年74。

アリは30年以上にわたって神経疾患のパーキンソン病を患いながらも、米国社会の黒人差別を批判する活動を続け、生を全うしました。現役時代は対戦相手に対して大口を叩くので「ビッグマウス」とも揶揄(やゆ)されましたが、どんなに有名になってもファイトマネーに対して不満を言ったことはなかったとか。結婚は4回で、2番目の妻との間に4人の子、3番目の妻との間に2人の子、4番目の妻との間に養子1人。

[戦績]
生涯戦績:61戦56勝(37KO)5敗
タイトル防衛:通算19回
王座獲得:ヘビー級3回

[おもな対戦相手(私が名前を知っている人のみ)]
アーチー・ムーア、ソニー・リストン、フロイド・パターソン、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、ジョージ・フォアマン、レオン・スピンクス、ラリー・ホームズ、トレバー・バービックなど

アリのボクシングスタイルを表す「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というフレーズは、トレーナーのドゥルー・バンディーニ・ブラウンが考案したそうで、元の英語は「Float like a butterfly, sting like a bee」。

「国際ボクシング殿堂」に讃えられた日本のボクサー2人の追悼コメント
●元世界フライ級・バンタム級2階級制覇の王者、「日本プロボクシング協会」終身名誉会長の原田政彦(ファイティング原田)さん
「アリは1つ年上で、我々の時代といえば『アリ』。あの時代をつくった王者だった。彼がいたからこそ我々も頑張れた。同じ時代にいてくれたことに感謝したい。もう世界中を探しても、ああいうスーパースターは出てこないだろう」

●元WBA世界ライトフライ級王者(13度防衛)の具志堅用高さん
「憧れの存在だった。アントニオ猪木との異種格闘技戦で来日した姿を一目でも見たいと早朝、宿泊先のホテルでロードワークに向かうアリを待った。今のヘビー級にアリのボクシングはない。パンチをまともにもらわず、あのリズムがカッコ良かった」

えっ!? 具志堅さんもアリの宿泊先へロードワークを見に…ってことは、マッチャンと同じ場所にいたんでしょうか~?

国際的な著名人の追悼コメントが続々と出されましたが、プロモーターのドン・キング(84歳)とボブ・アラム(84歳)の名前もあってビックリ。ご健在だったのね~(汗)。ドン・キングは今も髪の毛が逆立っているんでしょうか?(笑)。

アリは本物の「カリスマ」でした。最近ではどんな人にでも気軽に使うから、もう使いたくない言葉なんですが、本来の「カリスマ」ってこういう人なんだよ~!!と日本語を壊しまくっている連中に言いたい。

アメリカのオバマ大統領のツイート
「He shook up the world, and the world's better for it. Rest in peace, Champ.」
(ちえ意訳:彼は世界を奮い立たせ、向上させた人でした。チャンプ、どうぞ安らかにお眠りください。)

大統領はミシェル夫人との連名で、黒人差別と闘ったアリを以下のようにも讃えました。
「私たちのために闘い、マーチン・ルーサー・キング(公民権運動指導者の牧師)やネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)と並び立ちました」

私は“ザ・グレーテスト”モハメド・アリに、ドナルド・トランプをKOしてほしかったな…。

絶対不利の予想を覆してKO勝ちした伝説の試合。
●1974 10 30 キンシャサの奇跡 モハメド・アリ vs ジョージ・フォアマン
(アップロード:のむらこうせい)
https://www.youtube.com/watch?v=yAKEmR27iro

生まれ故郷ルイビルの公式サイトでもアリを追悼。
https://louisvilleky.gov/
(City of Louisville, Kentucky/※英文)

ロードワークで走るアリ:撮影(C)マッチャン(松尾泰男)
走るアリ.jpg
ファンの学生らとふざけるアリ:撮影(C)マッチャン(松尾泰男)
学生とふざけるアリ.jpg


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