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“逆転の貴公子”高橋ナオトのプロフィール・戦績・著作・関連記事。 [ボクシング・F1・ラグビー]

ワールド・ボクシング1989.3.jpg一世を風靡した大人気ボクサー、高橋ナオトさんのトークイベントが下北沢の「犬拳堂(いぬけんどう)」で開催された話の続き~♪

私は『ワールド・ボクシング』(日本スポーツ出版社)の1989年3月号を持っていって、ナオトさんにサインしていただきました! その号はマーク堀越戦の記事に加え、ナオトさんの綴じ込みピンナップ付き。「犬拳堂」に集まった方々にも見せたら、「きれいに保存してありますね!」と褒めてくれて大事そうにページをめくる姿を見て、こちらもうれしくなりました。

ただし、気に入っていた専門誌は『ボクシング・マガジン』(ベースボール・マガジン社)のほうでした。『ワールド…』より大判でデザインレベルが高いのです。アートディレクターのセンスが洗練されている感じ。それに比べると『ワールド…』は泥臭くて対照的でしたね。でも、私の周りは記事の濃さ・深さは『ワールド…』のほうだと言う人が多かったように思います。故・佐瀬 稔さんの連載「感情的ボクシング論」もありました。

なぜ『…マガジン』のナオトVS.マーク特集号を持っていないかと言うと、離婚する際、蔵書を向こうと分けたときに『…マガジン』のほうをあげちゃったんですね~(苦笑)。
ともあれ、ファンの集まりだとボクシングの話だけ何時間でも続けても誰にも怒られないし~、イヤな顔もされない。シアワセですね~♪ 食や料理が大好きな人たちと集まれば食べ物の話ばかり延々としますが、どんなジャンルでもオタクの会合って、そんな感じなのね(笑)。

以下に「高橋ナオト」の記録を書き留めておきます。ナオトさんのファンの皆さま、間違いや追加があれば、また、不明箇所がわかれば、ぜひお知らせくださいまし~! 今後、時間のあるときに少しずつ訂正したり追記したりします。

●高橋ナオト(たかはし・なおと)
本名:高橋直人
誕生日:1967(昭和42)年11月17日(金)
出身地:東京都 調布市(ちょうふし)
・ゲゲゲの鬼太郎&映画のまち♪
http://www.city.chofu.tokyo.jp

[獲得タイトル]
・第42代 日本バンタム級王者(防衛1回)
・第17代 日本ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)王者(防衛1回)

・生涯戦績:23戦19勝(14KO)4敗
・世界ランキング最高位:WBA世界スーパーバンタム級2位

[表彰]
・年間表彰選手:1986年 新鋭賞、1989年 技能賞・KO賞
・最優秀選手賞(MVP):1986年 第42回 全日本バンタム級新人王・A級ボクサー賞金トーナメント優勝
・年間最高試合賞:1987年 高橋直人(アベ) VS. 今里光男(トーア)/日本バンタム級タイトルマッチ、1989年 マーク堀越(八戸) VS. 高橋ナオト(アベ)/日本スーパーバンタム級タイトルマッチ

[高橋ナオトの軌跡](※以下、敬称略)

●1981年(13~14歳)
・中学時代は野球部に所属したが、言いたいことの言えない性格がもとで周囲とうまくコミュニケーションが取れなくなり、いじめられ孤立した存在となった。
9月 野球部を退部した頃、テレビでシュガー・レイ・レナード VS. トーマス・ハーンズのウェルター級統一戦を観て感動。ボクシングは単なる殴り合いではないと認識し、興味が湧いた。

●1983年?(15~16歳)
・中学校の卒業と同時期に実家の近所にあった「アベボクシングジム」に入門。3か月目でアマチュアデビューし、20戦を重ねた。
・「アベジム」を選んだのは自宅から近かったからで、それがほかのジムであっても入門したとのこと。他のジムより百倍も千倍も厳しい阿部幸四郎会長との出会いは偶然…。

●1985年(17歳)
2月7日 東京都立農業高等学校の食物科に在学中の高校2年時に、プロボクサーとしてデビュー。
・東京都立農業高等学校(明治42年創立)
http://www.nogyo-h.metro.tokyo.jp/
(都立高校で唯一、卒業と同時に調理師免許が取得できる…とのこと、ナオトさん、調理師免許を取得済み!?)
・関藤豊和(協栄ジム)と対戦して東日本バンタム級新人王を獲得し、最優秀選手賞(MVP)に選ばれた。

★いつの試合?:佐藤道広(?ジム)
★いつの試合?:山本博士(笹崎ジム)
★いつの試合?:古城賢一郎(ヨネクラジム)4戦目4回判定

●1986年(18歳)
3月4日 片山清一(大鵬ジム?)を2回KOで下し、全日本バンタム級新人王を獲得。最優秀選手賞(MVP)に選ばれた。
(このときは「大阪府立体育会館」での全日本新人王戦で、西日本ではなく東日本の選手がMVPに選出されるのは珍しいことだったとか)。
9月25日 「A級ボクサー賞金トーナメント」決勝で島袋忠司(のちに忠と改名/石川ジム)と対戦して優勝。最優秀選手賞(MVP)を獲得。
・年間表彰において新鋭賞を受賞。

★いつの試合?:長谷川則雄(?ジム)

●1987年(19歳)
2月1日 デビュー以来10連勝(6KO)無敗のまま、日本バンタム級王者の今里光男(トーアファイティング)に挑戦し、KO勝利。「チャンピオンカーニバル」最優秀選手賞(MVP)に選出された。
6月6日 初防衛戦で再び闘った今里光男(トーア)にKO勝利。
10月3日 2度目の防衛戦で挑戦者・小林智昭(角海老宝石ボクシングジム)に10回判定負けでベルトを失う。
(当時は減量が非常に苦しく、絶食を続けても体重は落ちなくなり、ガムを噛んで唾液を吐き続けてはコップ1杯にも溜まったことも。ついには吐血し、コップの中の液体が血でピンク色に染まったが、おいしそうなジュースに見えて飲み干したいと思ったというほど体の渇きは限界状態だったという)。
・今里光男との試合が年間最高試合に選ばれた。

★いつのエキシビション?:加納一也(?ジム)

●1988年(20歳)
1月24日 階級を上げたいと切望していたが、阿部会長はバンタム級での試合を組んだため、小林智昭が返上した日本バンタム級王座決定戦に出場。過酷な減量による影響で島袋 忠(忠司から改名/石川ジム)に6回KOで敗れる。初のノックダウンで大の字となった。
5月5日 リングネームを本名から「高橋ナオト」に変更し、1階級上のジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)に転向。ソンバヨット・シンサマン(タイ)と対戦し、2回KO勝ち。
?月?日 ジョン・マティエンガ(フィリピン)と対戦し、KO勝利。
11月3日 ジュニアフェザー級1位のとき、リトル・バンゴヤン(フィリピン同級1位)と10回戦でKO勝ち。

●1989年(21歳)
1月22日 日本ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)の王者・マーク堀越(八戸帝拳)の指名挑戦者に。両者合わせて5度ダウンの激闘の末、9回2分42秒KOで王座を獲得。2階級制覇を達成。世界戦ではないのに日本テレビが生中継した。
5月13日 タイの同級王者ノーリー・ジョッキージムにKOされかかるも、3回2分26秒で逆転KO勝利。
10月14日 世界戦をという声に阿部会長は耳を貸さないまま、日本スーパーバンタム級王座の防衛戦で打越秀樹(帝拳ジム)に6回KO勝ち。打越は2Rでフックを受けたあごが骨折していた。
・王座を返上。年間表彰において技能賞とKO賞をダブルで獲得し、マーク堀越との試合が年間最高試合に選ばれた。

●1990年(22歳)
2月11日 「東京ドーム」でのマイク・タイソン VS. ジェームス・ダグラスの世界ヘビー級タイトルマッチの前座試合でノーリー・ジョッキージムと再戦。6度のダウンを喫し10回判定負け。
9月22日 エドウィン・モンタナス(フィリピン)と対戦し、TKO勝ち。

●1991年(23歳)
1月12日 韓国のフェザー級王者の朴鍾弼(パク・読み方?)と対戦。気力だけで9回まで立ち続けたナオトは最後に叩きのめされ、意識を失ったまま担架にのせられてリングから運ばれていった。後楽園ホールの観客は誰も声を発せなかった。目の前で起こったことが現実とは思えず、誰もが認めたくなかった。ただ、視線だけが担架の行き先を追っていた。満員の観客は立ち見も含めて2千人以上もいるのに、ホールは静まり返っていた。
・病院での検査によって脳内出血と判明し、引退を余儀なくされた。
9月 畑中清詞と引退記念のスパーリングを行った。

・ボクシング中継の解説者を務める。
・以前から勤めていた地元のお弁当屋さんの仕事に従事。
・パソコン会社やビルメンテナンス会社に勤務。

●1993年
自ら執筆した『ボクシング中毒者(ジャンキー)』で第1回「Number(ナンバー)スポーツノンフィクション」新人賞を受賞(同賞は第13回で終了)。
※この作品は『Sports Graphic Numberベスト・セレクション〈1〉』(スポーツ・グラフィックナンバー編/文春文庫PLUS/2003年4月/文藝春秋)に収録。

・ボクシングライターとして何本も連載をもち、執筆活動。

●1994年
・漫画家の森川ジョージの出資によるボクシングジム「JBスポーツクラブ」を設立。会長として福島 学(元・東洋太平洋スーパーバンタム級王者)らを育てた。
・森川ジョージの代表作『はじめの一歩』の登場人物「宮田一郎」は高橋ナオトがモデル。
殴られた犬の誇り:表紙カバー.jpg
●2004年11月
自叙伝『殴られた犬の誇り』(ネコ・パブリッシング)刊行。
第1章 伝説の試合とはじめの一歩
第2章 負け犬と日本一厳しいジム
第3章 始まりと終わり
第4章 会長はなにをすべきか
第5章 10年目の世界戦
第6章 敗者の誇り

●2007年
・「JBスポーツクラブ」の会長を辞任。

・「甲府ヨネクラボクシングジム」のトレーナーとして後進を育成。

●2016年
・「高橋ナオト ボクシングクラブ(TBC:TakahashiNaoto Boxing Club)」を主宰。毎週末に都内の「クロスポイント吉祥寺」(武蔵野市 吉祥寺東町)と錦糸町の「リバレーションボクシング」(墨田区 石原)でボクシングの指導を行っている。
6月 「逆転の貴公子 高橋直人トークバトル!」と題したトークイベントが、下北沢のマーシャルアーツ・カフェ&アジアンカリーBAR「犬拳堂(いぬけんどう)」(世田谷区 北沢)で開催された。


[Webサイトの関連記事]

●後楽園ホール アーカイブス ザ・インタビュー 高橋ナオト
https://www.tokyo-dome.co.jp/hall/archives/interview/takahashi/003.html
(東京ドームシティ/2002年2月24日)

●元日本バンタム級&J.フェザー級チャンピオン
高橋直人・JBスポーツクラブ会長 ランダムインタビュー
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/editorsreport/editorsreport_050618-1.html
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/editorsreport/editorsreport_050618-2.html
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/editorsreport/editorsreport_050618-3.html
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/editorsreport/editorsreport_050618-4.html
(「あしたのボクシング」編集部/2005年6月18日)

専門誌『ボクシング・マガジン』『ボクシング・ワールド』『ボクシング・ビート』の編集長を歴任した前田 衷(まえだ・まこと)さんが、半世紀の間に後楽園ホールで観た名勝負の一番にナオトVS.マークを挙げました!
●名勝負を生み続ける聖地。後楽園ホール50年の記憶。~ボクシングで最高の試合は?~
http://number.bunshun.jp/articles/-/213516
(前田 衷/Number編集部/2012年4月3日)

●<Number読者が選ぶ> ボクシング、伝説の激闘ベスト20!(国内編)
第2位 高橋ナオト×マーク堀越(9回KO/1989年1月22日)
http://number.bunshun.jp/articles/-/311488?page=5
・20位までのランキング一覧
http://number.bunshun.jp/articles/-/311488?page=6
(以上、Number編集部/2012年12月7日)

●マーク堀越さん母国で病死、高橋ナオトと名勝負
http://boxingnews.jp/news/27228/
(Boxing Newsボクシングニュース/ボクシングビート編集部/2015年6月15日)


[このブログ内の関連記事]
●高橋ナオトさんを囲む会が、シモキタの「犬拳堂」で開催されました♪
http://chie-relish.blog.so-net.ne.jp/2016-06-11

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