SSブログ

沖縄の慰霊の日に。戦後を懸命に生きた人々を撮り続けた写真家・平敷兼七。 [沖縄&琉球國]

今日は沖縄県の「慰霊の日」。「日曜美術館」(NHK Eテレ)で沖縄を撮り続けた写真家に平敷兼七(へしき・けんしち)という人がいることを知りました。平敷さんの作品を観て、写っている人たちとの心の距離が近いな、そう思って興味を引かれました。

身なりの貧しい男、平敷さんの親代わりで戦災孤児たちも育てた伯母さん、夜の街に生きる女たち。表情はさまざまだけれども、みんな温かな眼差しをカメラに向けている。会話を重ね、警戒心を取り払うことで被写体となった人たちは、笑顔を見せたり裸身をさらしたり。人物を撮る写真家なら皆、同じような過程をたどると思いますが、平敷さんの写真は特に、撮る側と撮られる側が非常に平等な感じがしたのです。

平敷さんが撮り続けたのは米軍基地や政治闘争ではなく、著名人でもなく、市井(しせい)の人たちや春をひさぐ職業婦人、障碍をもつ人、アルコールやクスリの依存症の患者など。作品には長めのタイトルともキャプションとも取れる文章が添えられています。
「空き缶を拾いそれを売って家を作った人」「いつも酒を飲んでいる人」「脳は宇宙をかけめぐる」「部落に帰って来た人を最初に迎えてくれる人」「好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性」

沖縄の人々が背負わせられた重く苦しい大荷物を直接は写していない。一見するだけでは苦悩も恨みつらみもわからないかもしれない。それでも心を打つ何かが受け取れる写真だと思いました。

平敷さんは子どもの頃から吃音があったそうで、手製のミニアルバムのような写真集の表紙にも、手書きで「平敷どもりの兼七」と署名したものがありました。

小学校に入って本を音読したとき、自分が読むとみんなが笑うので、初めて自分が吃音者だとわかり、それからは自分の音読する順番が近づくと学校を休むようになったそうです。また、学友の名を呼ぶ際も、足に力を込めて踏み込んだ勢いで発語する、同級生はその姿を真似したりからかったりしました。親の言いつけで誰かの家を訪ねるときも挨拶の声が掛けられず、その家の人が気づくまで周辺をグルグルと回っていたこともあったそうです。

でも、平敷さんは「一人で空想しながらのおしゃべりだった」と言います。声はなかなか出せなくとも、たくさんの言葉が体中に満ちあふれていたのでしょう。写真を撮るようになると、どうしても相手に声を掛ける必要があるので、いろんな人と話せるようになったそうです。

平敷さんは2009年10月3日に61歳で亡くなっていました。5人の子どもがいて、写真の収入だけでは家族を養えない時期には、奥さんが何度も「もう写真を止めたら」と言ったそうです。でも、平敷さんは「僕はカメラがないと生きていけない。写真を止めてしまったら死んでしまう」と答えたとか…。奥さんは娘に「さすがに死なれたら困るから食べるのを我慢しようと思った」と話したそうです。まるで噺家の志ん生の奥さんのようですねぇ。ずいぶん苦労なさったことと思います…。
現在は次女の當間七海さんが、自分の経営する美容室の隣に平敷さんのギャラリーを設けて管理しているとのこと。

「日曜美術館」の平敷さんの特集は再放送がありますよ~。
6月26日(日)20:00~20:45
●「日曜美術館」(NHK Eテレ)
沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七(へしきけんしち)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2016-06-26/31/31645/1902683/


[平敷兼七プロフィール]

●1948年 沖縄県 国頭郡(くにがみぐん)今帰仁村(なきじんそん)上運天(かみうんてん)に生まれる。
http://www.nakijin.jp/
父親はサバニ(船)のエンジンの修理と販売を商売にしており、5~6歳の頃は夜になると旅館を兼ねた料亭での酒盛りに連れていかれ、そこの女性たちに着替えを手伝ってもらったり寝かしつけられたり。小学校の頃は本土復帰前まで近所に売春街があり、客を取る女性たちがアイスキャンディやチョコレートをくれて、遊び相手にもなってくれた。
●1967年 琉球政府立沖縄工業高等学校(現・沖縄県立沖縄工業高校)工芸科 デザインコース卒業(のちに工芸科は廃止)。
http://www.okinawa-th.open.ed.jp/PC/0000top/h28top.html
●1969年 東京写真大学(現・東京工芸大学/東京都 中野区)工学部 中退(撮影を学ぶつもりだったのに高校の先生が間違えて工学部系の入学案内書を取り寄せたため、入学後にフィルム製造を専攻する科だとわかり、中途退学したとか)。
http://www.t-kougei.ac.jp/
在学中に個展「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)開催。
学園紛争による学校の閉鎖期間に沖縄の離島を撮影。
『週刊ポスト』に「祖国復帰を拒否する女達」発表。
●1970年 『カメラ毎日』3月号に「故郷の沖縄」発表。
●1972年 東京綜合写真専門学校(現在は神奈川県 横浜市 港北区)を卒業し、沖縄へ帰る。
http://tcp.ac.jp/
●1979年 沖縄の画家で、のちに「沖縄県立芸術大学 美術工芸学部」教授も務めた山城見信(やましろ・けんしん)の著作『美尻毛原(びじゅるもうばる)の神々――美咲養護学校における土の造形学習・その実践』の撮影を宮城彦士と共に担当。
●1985年 沖縄の写真家の嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。
●1987年 同人による合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)
●1991年 写真集『金城美智子・光と影の世界』
●1992年 写真集『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り――宮古の狩俣島民の夏のプーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(以上、私家版)
写真展「写真で考える沖縄の戦後史展」(パレットくもじ/那覇市ほか)に出展
●1996年 写真集『島武己』
●1998年 「東川町国際写真フェスティバル」(北海道 上川郡 東川町)に講師として招かれる。
http://photo-town.jp/
●2002年 写真展「琉球烈像――写真で見るオキナワ」(那覇市民ギャラリー)に出展
●2006年 写真展「金武(きん)から来た女性」(新宿ゴールデン街 ギャラリーバー「アガジベベまたはアグア・ジ・ベベー/現在は閉店」「Gallery銀座芸術研究所」)
●2007年 平敷兼七写真集『山羊の肺――沖縄 1968-2005年』(影書房)発刊。
「山羊の肺」(南風原文化センター/Galleryラファイエット)
「沖縄文化の軌跡1872-2007」(沖縄県立美術館)に出展
●2008年 平敷兼七展「山羊の肺 沖縄1968-2005年」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2008/06_osaka-2.html
第33回「伊奈信男賞」(ニコンサロン写真展年度賞)受賞
http://www.nikon-image.com/activity/salon/awards/ina/winners/33.html
「沖縄・プリズム1872-2008」(東京国立近代美術館)に出展
http://archive.momat.go.jp/Honkan/Okinawa_Prismed/index.html#detail
この展覧会には行って図録も購入しました。すでに平敷さんの作品を観ていたのか…記憶にない~(汗)。言い訳すると、絵画や写真、陶磁器、織物・染物など展示作品が膨大だったのです~。
●2009年10月3日 肺炎のため浦添市内の病院で死去。享年61。

[愛用のカメラ]
●モノクロ撮影
35ミリ:「ライカM4・M6」。「ライカは音が静か、二眼レフだからブレにくい。シャッター音が静かだから撮影しやすい」とのこと。
6×6(ロクロク):「ハッセル」
4×5(シノゴ):「リンホフ」。「動かないものは、だいたいシノゴ」。
●カラー撮影の仕事
ニコン

[モノクロにこだわる理由]
最初から最後まで自分の手を離れないから。フィルムも百フィートから取り分けて巻き、撮影して現像、プリントして修正する。どこかで手を抜いたら何かが足りなくなる。つまり、気持ちがそこで抜かれてしまう。手垢を付けるということか。
同じネガからのプリントでも時代によって雰囲気が違ってくる。若いときのプリントと最近のプリントを比べてみたら違うこともある。


[参考サイト]

●沖縄の肖像(1)平敷兼七 heshiki Kenshichi(写真家)
写真との出会いは「天職」への道だった
http://bakuedit.in.coocan.jp/person/shozo/01-heshiki/02-heshiki.html
(編集工房・BAKU/2008年4月21日)

Facebook
●平敷兼七ギャラリー kenshichi heshiki photo room
https://www.facebook.com/kenshichiheshikigallery/
(沖縄県 浦添市 城間1-38-6 1F)
※この地名は「うらぞえし しろま」じゃなくて「うらそえし ぐすくま」と読むんですよ~。

●「出かけよう、日美旅」
旅の紹介 第11回 沖縄へ 平敷兼七旅
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/247190.html
(NHK Eテレ/2016年6月19日)

●作家紹介 平敷兼七 HESHIKI, Kenshichi (1948~2009)
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/artists/photograph/heshiki_kenshichi/index.html
(沖縄県立博物館・美術館)
上記サイトには常設(たぶん…)の作品3点が掲載されています。
『火葬場 南大東 1970』
『シーラをかついでいる女の子 カツオをもってゆく男の子 与那国 1970』
『客をまつ 那覇栄町 1973』

●書評 平敷兼七写真集『山羊の肺――沖縄 1968-2005年』、追悼記事リンク
http://www.kageshobo.co.jp/main/syohyou/yaginohai.html
(影書房/東京都 豊島区 駒込1-3-15)

写真集の『山羊の肺』は全国の古本屋さんで取り扱いあり(一例)
●美術専門古書店「SO BOOKS」(東京都 渋谷区 上原1-47-5)
https://sobooks.jp/books/47127

●平敷兼七写真集『山羊の肺――沖縄 1968-2005年』
[目次]
放牧風景(伊平屋 一九七二)
新川公民館にて(八重山 一九七〇)
葛(かずら)をもってゆく少年(与那国 一九七〇)
子どもたちとケンケンしている大人(屋ヶ名 一九七〇)
豊年踊り見学(八重山 一九七〇)
安里三叉路(那覇 一九七〇)
チビチリガマ入口の破壊された像(読谷 一九八八)
チビチリガマでの生活用具と入れ歯(読谷 一九八八)
船長の自宅にて(伊平屋 一九七四)
鰹を整える(与那国 一九七〇)
ほか1-平敷兼七写真集.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。